Risk Oversight vol.56 全社的リスクマネジメントの成功度の測定

リスクマネジメントにおいて究極的とも言える問いをよく耳 にします。「全社的リスクマネジメント(ERM)の価値をど のように測定するのか?」 単純な問いのように聞こえま すが、これに対する単純な回答は存在しません。将来の 組織の成否を分かつ多くの力が、組織の内外で作用し ている状況において、ERMあるいはリスクマネジメントの 総じての成功度をどのように測定すればよいのでしょうか。 経営者が適切な意思決定を行った場合と、その企業に おいてERMがなかった場合の意思決定は違うものに なっていたかをどのように知ることができるでしょうか。あ るいは、経営者が不適切な意思決定を行った場合、その 企業においてERMがあれば意思決定は違うものになっ たとどのように知ることができるでしょうか。ERMプロセス によって、意思決定プロセスに重要な違いが生じたので しょうか。このことを証明するのは困難です。

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下記に挙げる10 項目は、ERMの成功度を測定するため に企業が活用できる方法を例示したものです。これらは 必ずしも、ERMの価値をどのように測定するのかという究 極の問いに直接的に答えるものではなく、ERM がもたら す結果に焦点をあてたものとなっており、ERM が組織の 成功にいかに寄与するかについて有用な洞察を提供す るものです。

  1. ERMに関する経営者の目標の達成度─ ERMの 成功度の価値を評価するためには、経営者はまず、ERMによって何を達成しようとしているのかを明確に する必要があります。ERMの目標としては、例えば、 業績の変動幅を許容水準にまで低減する、上級経 営者と取締役会の対話を強化する、戦略と企業文化 を望ましいリスク選好と整合させる、組織のレピュテー ションを守る、新たに顕在化する市場機会とリスクへ の対応における「先行者」となる、といったことが例と して挙げられます。目標が特定されると、その達成に 向けた進捗を把握するために適切な指標を設定しま す。例えば、変化し続ける事業環境の中でリスクマネ ジメント能力を継続的に更新していくという目標であ れば、特定のリスクを管理する能力のギャップを埋め、 特定の分野における組織能力の成熟度をより「定 義・管理」されたレベルへと向上させる具体的な改善 策によって、成功度を測定することが考えられます。
  2. 混乱を生じさせる変化に先立つ事業戦略の見直し の実施─事業の基盤が変化しようとするとき、上級 経営者は、新たに顕在化する市場機会とリスクに便 乗して、自らの組織を市場における「先行者」とする ことができるでしょうか。外部の事象や出来事によっ て事業戦略の重要な前提条件が変わってしまう場 合、不備が生じた、あるいは時代遅れとなったビジネ スモデルを展開してしまうような状況を回避するため に、変化が生じたことを適時に認識しているでしょう か。事業戦略の前提条件が引き続き有効であることを確保するために、事業環境の変化を監視している でしょうか。事業戦略に関するリスクと、混乱を生じさ せる可能性のある外部環境変化の影響を評価する ことにより、事業戦略を設定する上で有用な洞察が 得られ、長年に亘って構築された企業価値を保持す る活動を促進できます。
  3. 予期せぬ事態への準備度を高めるための業務リス クの効果的評価─グローバル経済においては、組 織の境界線は文字どおり存在しません。戦略的な 視点から業務リスクを捉え、上流および下流にある 取引関係を含む、企業活動の全体にわたるバリュー チェーンに焦点を当てます。このような視点に立つこ とにより、経営者は、バリューチェーンの重要な構成 要素の一部が予測できない期間失われた場合に何 が起こるのか知ることができます。ある構成要素が 失われた場合、事業モデルの継続性への影響が、大 きく、速い速度で広がり、かつ持続するのであれば、 それに対する組織の対応準備ができているかを評 価する必要があります。これに関する成功度は、例 えば戦略的に重要なサプライヤーが予期せず失わ れた場合に、効果的な対応策を講じることにより、そ れを乗り越える能力を組織が備えているかによって 測定することができます。
  4. 経営のコアプロセスへのリスク評価の統合─ ERM プロセスは、事業の成功にとって重要性を持つ活動 と統合することにより、より意味のあるものとなります。 統合をどのように、そしてどの程度行うかは、業界に よって異なり、経営者の経営スタイルに大きく依存しま す。統合の対象には、事業戦略の設定、年次事業 計画の策定、業績管理、予算策定・設備投資資金計 画などを含めることが考えられます。このような統合 を行うことにより、ERM が組織の他の構成要素から は切り離された付属物とされるリスクを低減し、戦略、 計画、および業績報告がより強固であるとの確信を 取締役会や経営者が持つことによって、期待される 結果をもたらすより効果的な経営が行われるでしょう。さらに、上記の効果的な統合により、適切な関係者に よる関与や焦点が明確になることにより、組織のリス クマネジメントに係るプロセスはより意義あるものとな るでしょう。
  5. 十分な情報に基づき効果的に機能する取締役会に よるリスク監視プロセス─経営者や取締役は、概し てリスクマネジメントとリスク監視の明確な区別を望ん でいます。しかし、リスクマネジメントとリスク監視の起 点が同じ場合、つまり、重要な前提条件の理解に基 づいて事業戦略の形成が行われ、かつ、ERMプロセ スを通じて重要な全社的リスクに対してアクション可 能な報告を提供し、組織のリスク選好を踏まえた上で どのようにそれらのリスクを管理しているかについて 情報を提供する場合、上級経営者と取締役会は、事 業の運営と管理の在り方に適切な焦点を当て、かつ 一体となった対話を行うことができるでしょう。
  6. 新たに顕在化するリスクの適時の識別と、効果的な 早期警戒システムの導入─新たに顕在化するリスク の識別と、意思決定者への未認識情報の提供に焦 点を当てている場合、リスク評価とモニタリングのプロ セスは、組織が知らず知らずのうちにリスクを抱え、受 容しえない損失にさらされてしまう可能性を低減しま す。リスクの予測、事業戦略の前提条件の継続的 妥当性についてのモニタリング、および前提条件の 変更による業績への影響を評価するためのデータ分 析、シナリオ分析、ストレステスト、ならびに情報収集に より重点を置くことで、早期警戒システムは事業戦略 の策定を強化することができます。組織の耐性が強 化されることにより、事業の業績も徐々に改善していく でしょう。
  7. 業績変動幅の低減─(a)より体系的で、将来を見据 えた先行的なリスク評価プロセス、(b)改善されたリ スク測定尺度、および(c)リスクを発生源泉で絶つ予 防的コントロールによって、企業は業績の結果報告に 驚かされることがほとんどなくなるかもしれません。これはリスクマネジメントによってもたらされる結果です。 改善されたリスク測定尺度、測定指標、およびモニタリ ングを、主要業績指標(KPI)に関する報告と統合す ることによって、「推測する」から「知る」あるいは「理解 する」へ、そして「対応する」から「準備する」、「先行 的である」、あるいは「将来を見据えている」への転換 が促進されるでしょう。これらの転換は、リスクマネジメ ントの改善が徐々になされていることを示しています。
  8. リスク・インシデントやニアミスの減少もしくは回避─ ある企業が、リスク・インシデントや損失事象の発生が 同業他社よりも少ないことを示すことができれば、自ら のリスクマネジメントが他社よりも優れていることの明 確な証となります。他社との比較が可能なリスクの実 際的な例としては、環境や職場の安全が挙げられま す。リスク対応、リスク測定、リスク・インシデント、ニアミ ス、ベストプラクティス、および改善計画の進捗状況と いったリスクについての情報が組織全体に提供され ることにより、ナレッジの共有と継続的なプロセス改善 が促進されます。
  9. 資本コストの低減と株主価値の改善─証券アナリス トや債券格付機関、規制当局、その他の関係者が、 さまざまな企業のリスクマネジメント能力の違いを認 識するにつれ、効果的なERMを実施している企業 は、それを全く実施しないことを選択した企業に比べ て、より低い資本コストを徐々に実現するでしょう。あ る企業のリスクマネジメントが、同業他社に対する差 別化スキルと市場で認識され、その企業のレピュテー ションが向上するのであれば、結果として、その企業 の借り入れコストは低下し、それに応じて株価は上昇 するでしょう。効果的なERMプロセスを有する企業 は、金融市場関係者とのやり取りにおいて、自らのリス クマネジメントの能力を説明すべきです。
  10. 企業文化におけるリスクに対する感度と意識の向 上─リスクマネジメントが重視され強化される組織文 化へ転換することは、リスクマネジメントの有効性向上の一つの目安となります。例えば、トレーディング業 務における望ましいリスク文化とは、企業家的な活動 とコントロール活動の適切なバランスを取ることにより、 一方が他方に比して不釣り合いに強くなりすぎず、そ れら2つの活動の間の健全な緊張関係を確保するこ とです。製造業務においては、製造プロセスにおけ る連続無事故日数など、過去の実績に比べて要求 度の高い目標を達成するためには、行動を変えるた めの組織文化の転換が必要かもしれません。高度 に資本集約的な産業においては、投資機会の魅力 をよりしっかりと評価する文化に転換することは、将来 キャッシュフローの現在価値の確率的評価にあたっ て不確実性の要因を考慮に入れること、あるいは、異 なる想定に基づく異なる将来予測をモデルにするこ とを意味するかもしれません。この場合、重要な事 業上の目的や責務の達成の妨げとなりうる潜在的な 障害に対処することになり、リスクマネジメントは実質 的に事業管理に統合されます。

最後に、上に挙げた ERMの成功度を測定するための 10の方法は、より直接的にリスクマネジメントに関連する ものですが、競争における優位性を構築し維持すること や、キャッシュフローや一株当たりの利益の漸増を生み出 すこと自体も、リスクマネジメントの有効性を間接的に測定 する方法と言えます。これに関して伝統的に用いられて きた他の測定尺度としては、投資収益率(ROI)、株主資 本利益率(ROE)、株主価値の増加などが挙げられます。 有用な非財務的測定尺度としては、顧客満足度と維持 率、従業員満足度と離職率、チャネル・スループット、マー ケット・シェア、ブランド・イメージなどが挙げられます。

取締役会の考慮事項

以下は企業が営む事業に内在するリスクの性質に応じ て取締役会が考慮すべき事項です。

  • 事業戦略に内在するリスクや前提条件への重要な影 響を識別するために、経営者が事業環境の変化を定 期的にモニタリングしていることを、取締役会は確認しているか。混乱を伴う変化の悪影響に対して、事業戦 略の必要な見直しが適時に行われているか。
  • ERMプロセスが寄与する価値を経営者が実証できて いることを取締役会は確認しているか。

プロティビティの支援

プロティビティでは、取締役会や上級経営者による企業 全体あるいはさまざまな事業部における事業運営に伴うリスクの評価、ならびにそれらのリスクを管理する能力の 評価を支援しています。プロティビティは、リスクマネジメ ントを事業の中核プロセスの中に組み入れる最も有効な 方法を確実なものにするために、企業と緊密に連携しま す。プロティビティは、ERMプロセスの評価と改善を支援 し、財務、業務、テクノロジなどに関する具体的なリスクの 報告と管理に係る戦略、戦術ならびに成功度の測定尺 度の導入を支援します。

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